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「年金ポータル」が出来たものの・・・

2019/4/16 日本経済新聞

厚生労働省は16日、年金に関する情報を分かりやすく伝えるポータルサイト「年金ポータル」を開設した。手続きや制度など、関心に応じて利用者を関連機関のホームページに誘導する。見込み額や加入履歴を確認しやすくし、制度への理解を深めてもらうのが狙いだ。

「わたしの年金」や「みんなの年金」といったテーマごとに、Q&A方式で解説する。日本年金機構や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)などへのリンクも掲げ、詳細な情報を得たい人がスムーズにアクセスできるようにする。

日本の年金は仕組みが複雑でわかりにくいとの批判がある。制度への理解を深めてもらうため、サイトの作成では有識者の意見も取り入れた。

根本匠厚労相は同日の閣議後の記者会見で「年金ポータルを通じて公的年金や私的年金への理解を深めてほしい」と述べた。

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さあ、どれどれ・・

年金をわかりやすく教えてくれるサイトになったのかな♪

まずは、Question1の「わたしの年金どうなっているの?」

の中から、年金は「いつから」「いくら」受け取れるの?

を選択!

 

 

回答はこれ↓

えっ。。。

 

 

 

 

 

もちろん、自分の基礎年金番号を入力しているわけではないので、

「何歳」から「○○○円」支給

まで分かるわけではなく、漫画が動画で流れて教えてくれるわけでもないのですが、

この時点で多くの方は「ガックリ」として、もうこのサイトを見ない人も居るかと思います。

(ちなみに、赤い部分を押したら、単に年金機構のホームーページに飛ぶだけ)

また、これを真に受けて、「70歳から受取ろう」と思うと、時効の関係で「特別支給の老齢厚生年金」を受け損ねる人も出てくるかもしれません。

 

「公開後も皆様の声をお聞きして、さらに改善・進化させていく予定です」

とのことですが、結局、年金の仕組みが難しすぎて、サイトをいくら充実させても、『令和の時代』になっても、

知りたいことを解決するには、

年金事務所に行くか、年金に詳しい人に聴くしかないでしょうね。

いずれAIが発達して「ズバリ答えてくれるサイト」が出来たら状況は変わるかもしれません。

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久しぶりに夢で思い出した「新聞配達時代の朝」

2018年、まだスタートしたばかりですが、今朝は、久しぶりに、夢で、新聞配達の朝を想い出しました。

 

もう、苦学生だった頃の新聞配達を辞めてから、20年以上経過しているんですが。。。

 

しかし、今でも時々(昔は頻繁に)、新聞配達で寝坊をしたのではないかと、ハッと起きます。

 

浪人時代に新聞配達をしていて、大学入学で一旦辞めたものの、お金が無くなり、再び新聞配達を始めました。

 

そんな経緯もあって、起きた直後は寝ぼけていることもあり、「まだ朝刊を配る仕事は続いている!」として、ビクッと起きるのです。

 

いつになったら、この「トラウマ」から解放されるのでしょうか(^_^;)?

 

あのころは、労働基準法とか有給休暇とか何も考えず、狭い寮住まいで、一生懸命働いていたなあ・・・。大変でしたが、夢いっぱいでした。

※当時は厚生年金被保険者でなく、国民年金と国民健康保険でしたので、残念ながら年金加入記録には残っていません。写真も残っていません。

 

 

ちなみに今回載せた写真、このきゃりーぱみゅぱみゅの折り込みをする格好や、「筍(たけのこ)」のような、朝刊を積みこむスタイルは、リアルなので、懐かしいなあと思いながら掲載してみました。

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社労士に求められる「ヤバイ相談」のトーク術

社会保険労務士となって活動するには、沢山のスキルを身に付けないといけません。

 

社労士試験を通っただけは、まだ10分の1以下のスキルしか無いのではないでしょうか?

 

労務管理に関するさらなる深い知識はもちろん、「労働社会保険・年金の手続実務」「パソコン操作や周辺の税務知識」「法人登記簿や戸籍謄本、年金記録画面の読み取り方など」・・・・

 

こういった実務知識のほかに社労士業として必要となってくるのが、「話術」です。

 

セミナーなどの話術のほか、お客様等への話術・説得術などです。

 

実際、社労士に相談が来るケースとしましては、「ヤバイ相談(=法令違反)」になるような相談も多いです。

 

「有給休暇を取らせたくないんだが」「すぐクビにさせたいんだが」「社会保険料を払いたくないんだが」・・・・・

 

だいたいの場合、すでにネットや本などある程度調べて、「難しそうだな」という感触を掴んだのちに、相談に来られます。

 

その際、相手(大概、社長か他士業)が求めていることは何でしょうか?

 

「有給休暇と取らせない方法があります」「すぐクビにする方法があります」「社会保険料を払わなくて良い方法があります」

 

こんな答えがあれば、相手に喜ばれるかもしれません。

 

しかし、すでに「難しそうだな」と思って相談されている案件の場合、多くのケースで

 

ゲームオーバー

 

です。

 

実は相手方も、無理そうだ、難しそうだ、ということは、うすうす感じてます。

 

「どう納得感のある「あきらめ」をしたら良いかを教えてほしい」

 

本人は気づいていないかもしれませんが、実は本当に求めている答えは、こんなことなのかもしれません。

 

その場合、「法律で・・・となっていますから」と答えるだけでは、相手からの納得感が得られにくいことは、だいたい想像がつくかと思います。

 

じゃあどうするか?

 

頭ひねりますね(^_^;)

 

ここが上手にトーク出来るか出来ないかが、社労士(に限らず士業)として事業運営・経営していくうえで、勝負の分かれ目になるんだろうと思います。

 

私自身も、上手く話せた「好事例」をメモしたりして、日々研鑽しています。

あけましておめでとうございます 2018

ご無沙汰しております

 

みなさま、あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

いや~おひさしぶりです(^^)!

 

2017年は4月以降、実に9ヶ月間、ブログをお休みしておりました。

 

その理由は・・・2017年は、「年金」のお仕事に、多くの時間を取られてしまったからです。

 

ご存じのとおり、2017年8月1日より、これまで原則25年間保険料を納めていないと、1円ももらえなかった年金が、10年で受け取れるようになりました。

 

8月からのスタートでしたが、約64万人ともいわれる該当者にお知らせをするために、すでに3月末頃から順次、専用の黄色い封筒が本人に送られました。

 

年金制度を良く知らない多くの方々(国会議員も含めて)は、単純に

『10年以上ある人を拾い出して封筒を送ったので、後は大して作業量変わらず、すぐ手続きできるでしょ?』

と思っていたと思います。。。

 

とんでもない!

 

確かに、黄色い封筒が届いた方は、年金事務所に持って行くだけでOKですが、実際受給しようと思ったら。。。

 

むちゃくちゃ確認作業をしないといけないんですよね!

 

合算対象期間(=カラ期間)で25年に昇格することはないか?

未統合記録は無いか?

ほかにも色々・・・

 

2017年はすご~く疲れました(^^)

 

やれやれと、ようやく終わりか思ったら、2018年には、加入期間10年未満の方にもお知らせが届くみたいで、まだ騒動は続くみたいです(>_<)

 

 

 

2018年の目標

 

2017年から事務所名を「ドリナビ社会保険労務士事務所」と変更しました。

 

名古屋市が運営する創業塾「ドリーム・ナビ」に一時期在籍していた縁で、その名前を略した「ドリナビ」を事務所名にしました。

 

私自身も、昔は工場で働いていましたが、退職後、公共職業訓練でパソコンや簿記などを学び、事務職の道へと変更することができました。

社労士が多く扱う社会保障制度を活用して、夢のお手伝いをしたいという思いで名づけました。

 

 

2017年は年金に力を注ぎましたが、2018年は、コンピュータの力(HPやブログ、facebookやYouTube など)をフル活用して、自分の得意としている「年金」「助成金」「労働トラブル」事業を伸ばしていきたいと思っております。

 

 

2018年、ドリナビ社会保険労務士事務所を、どうぞよろしくお願いいたします!

 

山際昌司(やまぎわ まさし)

【労働】労働監督、民間委託検討へ

社労士の新たなビジネスチャンス?

政府の規制改革推進会議は9日、人手不足が深刻化している労働基準監督業務について、社会保険労務士などの民間事業者に一部委託する検討を進めるタスクフォース(主査・八代尚宏昭和女子大特命教授)を設置した。

 委託対象業務の範囲や民間事業者の権限などを詰め、6月に安倍晋三首相に提出する答申に盛り込む。

 民間委託を検討するのは、政府が重要課題とする働き方改革の実効性を担保するには、職場環境の監視体制拡充が急務と判断したためだ。同会議議長の大田弘子政策研究大学院大教授は記者会見で「労働基準監督の強化はまさに働き方改革のインフラを強化していくことだ」と指摘した。

 

民間委託した「違法駐車の取締り」をイメージされて検討しているのだと思います。

でも、社会保険労務士は、セミナー業や年金相談などで生計を立てている方もいらっしゃいますが、一番多いパターンは、事業所との顧問契約です。

もしかしたら、「社労士VS社労士」みたいなことになるかもしれませんね。

 

 

日本は海外と比較するとやや少ない

 

 

ちなみに、こちらは海外の労働監督官との比較です。

労働監督官制度の規模について,ILO は,先進国では労働者1 万人あたり監督官が1 人以上いることが望ましいとしています。
アメリカの労働監督官は極端に少なく、逆にドイツはかなり多いです。

【労働】新聞奨学生の体験談やメリット&デメリット(その2)

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前回、『新聞奨学生の体験談やメリット&デメリット(その1)』では、主に、私の体験談をお話してきました。

 

今回は、新聞奨学生になることのメリット・デメリットについて、お話していきたいと思います。

 

若いときには気づきませんでしたが、四半世紀以上たち、心落ち着いて振り返ってみて、私が感じたことを述べていきたいと思います。

 

 

新聞奨学生になる「3つのプラスの側面」

 

 

【①家・地元から脱出できる】
まず、新聞奨学生という制度が世の中に無かったとしたら・・・。

高校を卒業したばかりの人が、都会に出る手段は、かなり限られてくると思います。

部屋を借りるにも、生活をするにも、当面のお金や仕事が必要になります。

そういう面倒な手間やお金の心配が無く、体一つで都会に来れるのは、最大のメリットです。

特に、家庭環境が良くないと感じている方(※本当に良くないかは、外に出てみないと分からないですが)は、藁をもすがる制度です。

私が高校を卒業し、2週間後には東京に来れたのは、この新聞奨学生という制度のおかげです。

どうしても「脱出」しないといけない度合が強い人ほど、プラスの側面は大きくなるでしょう。

 

 

【②同僚の知識や考えを吸収できる】
東京・大阪など大都市の新聞奨学生ですと、日本全国から人が集まってきます。

そして、新聞奨学生になってでも都会に行こう、とするくらいですから、バイタリティのある人が多いです。

私の場合、ESPという音楽学校に行く人や、オーディオにこだわる方が居たこともあり、機械類に詳しくなりました。

地元では、そういった「○○マニア」みたいな方は、お見かけしませんでしたから。

今でも社労士という文系なのに、動画作成やワードプレスでHP作成、ワード・エクセルなどをサクサク使いこなしているのも、このときのおかげです。

頭のまだ柔らかいこの時期に、母親から子供に言葉を教えるかのごとく、一つ屋根の下で情報を吸収できたことで、機械類に対する抵抗が無くなりました。

さらに、北海道から九州までの方とお会いすることで、色々な方言や考え方、地元のこと(富山のチューリップ祭りなど)を学ぶこともできました。

細かいですけど、「てんぷらやキャベツに、ソースでなく醤油をかけて食べるんだ」とかも・・・・・

これらは、時々友達と会って話すのとは違い、一つ屋根の下でいるからこそ、吸収できることだと思います。

 

 

【③人間関係にビビらなくなる】
新聞奨学生をしていますと、対人関係に度胸がついてくると思います。
あと場合によっては、生涯の友人ができることがあります。

それは2つの点からです。

<●これ以上ない一つ屋根の下>
どんなに親しい間柄でも、やはり、一つ屋根の下で、同じ仕事をし、同じ釜の飯を食べる仲というのは、違ってきます。
こういう同じ時を過ごした仲間は、たとえ何年過ぎようとも、どこか心が繋がった友人となります。

<●集金作業で初対面とも会話>
私のときは、集金も仕事のうちでした。
色々なご家庭を訪問することになります。
新聞を取っているのでお金を払っていただくのは当然なのですが、新聞配達の集金人はどちらかというと「訪問販売員」みたいな低姿勢で訪問します。
相手の機嫌を損ねないよう、フレンドリーさも醸し出しつつ、上手な距離感で初対面の方からも、お金を回収していくことになります。

 

 

 

新聞奨学生になる「3つのマイナス側面」

 

 

プラスの側面もあれば、マイナスの側面もあります。

【①勉強する時間がやっぱり取れない】
これが最大のデメリットです。

新聞配達は、朝刊と夕刊がありますので

朝刊:3:30~7:00
夕刊:15:30~18:00

くらいの時間は見ておかないといけません。

すると、感覚的には、四六時中、新聞配達をしている感じとなります。

終わったと思ったら、すぐ次の配達が待っています。

疲れて、眠気も襲ってきます。

仕事だけでなく、仲間とのコミュニケーションも必要です。

この「取れそうで取れない勉強時間」が最大のマイナス面です。

私の居たところでは、めでたく志望校に合格した人もいましたが、どちらかというと、ランクを落として合格したり、大学進学や専門学校通学をあきらめたりする方のほうが多いです。

とにかく勉強をしたい人にとっては、かなり厳しい現実が待ち受けています。

※なお、私たち社労士(合格率5%ほど)の多くは、社会人として勉強と仕事を両立させながら、合格しています。要はヤル気といってしまえばそれまでかもしれません。

 

 

【②青春の大事な時間を配達に捧げることになる】
世の中には、10代から芸能活動で輝く人もいますし、一般的な仕事であれば、出張や配置転換など、色々経験を積むことになり視野が広がっていきます。

また学生なら、学生同士のサークルや旅行など、将来大切な思い出も作れることでしょう。

そう、青春ドラマです(古いですが、オレンジデイズはいいドラマでした)。

私は、大学合格して新聞配達からは卒業しましたが、その後夜学でしたので、昼間は4年間ず~と仕事(バイト)で、新聞配達時と余暇はあまり変わりません。

大学で勉強することが最大の目標で、しかも第一志望の法学部でしたので、その点は十分満足しているところですが、振り返ってみると、青春らしい旅行など、ほとんど無かったなあと思っています。

先人たちからは、「きっと後からいいことあるよ」と言ってもらえましたが、青春ドラマみたいな仲間との旅行は、ぜひしておきたいところです。

新聞配達は、長期休暇は難しい上、仕事による視野もほとんど広がりをみせません。

 

 

【③悪い遊びを覚える】
奨学生以外の新聞の専売所の従業員は、ごく一般的な方々です。

パチンコやマージャンといったギャンブルや、煙草、ボーリング、カラオケなどをして、日常生活を営んでいます。

こういった遊びに、同僚の奨学生や専業(専売所専属の従業員)から誘われた場合、なかなか断りづらいことになります。

中には、パチンコにどっぷりはまって、1ヶ月の小遣いを使い果たした方も見てきました。

早く大人になるということは、こういう可能性もあるわけで、将来高い目標を掲げて頑張る人ほど、「ここに居ちゃだめだ」となります。

 

 

新聞奨学生をしようと思っている方へ

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

世間でよく言われている「奴隷・ブラック」なんてことは、ここでは書いておりません。

それは、私の青春時代は、確かにそこにあり、後悔はしていないからです。

上記「メリットとデメリット」とは、すべて私自身の身の周りで実際起こったことです。

そして現在は、そういった縁もあって、「働くこと」「社会保障」に携わる社労士という仕事を続けております。

このブログをご覧になって、誰かの何かの参考になりましたら幸いです。

最後に、私自身が高校卒業して、もう一度新聞配達をしたいか?と問われれば次のようにお答えしたいと思います。

愛情をもって経済的な支援を受けられる立場であれば、新聞奨学生は止めておきますね。もっとたくさんの思い出を作れると思いますので。
でも、もう一度同じ境遇で、18歳に戻ったとしたら、また新聞奨学生をすると思います。今でも当時の私にとって最良の選択だったと思うから。


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【労働】新聞奨学生の体験談やメリット&デメリット(その1)

時効(25年以上前)なのでお話しようと思います

 

現在は、社会保険労務士として、「労働」「社会保険」「年金」の相談手続業務を行っている私。

 

今でこそ、事務仕事をしておりますが、若いころは、肉体労働ばかりしておりました。

 

そういえば事務仕事に転向したときは、よく怒られてましたね、全然PCが使えなくて・・・。

 

高校を卒業し、最初に始めた肉体労働・・・それが「新聞配達」でした。

 

今回は、昔のことを想い出しながら、新聞配達をしながら勉強をした日々について、語っていきたいと思います。

 

もし、これから新聞配達をしながら、勉強しようかと考えている方にも、参考になれば幸いです。

 

 

そもそも新聞奨学生とは?

 

奨学金なら聞いたことがあるが、奨学生ってなんだ?という方もおられるかと思います。

 

簡単に言えば、「住み込みで新聞配達をして、学費や生活費の補助を受けながら、学校に行っている人たち」のことを言います。

 

大学や専門学校、あるいは浪人して勉強を続けていくにあたって、先立つものはお金ですよね。

 

部屋を借りるにも、敷金礼金が必要ですし、もちろん学費も必要です。

 

そんな先だつ不安を解消してくれるのが、「新聞奨学生」という制度なのです。

 

 

 

なせ、新聞奨学生になったのか?

 

自分の場合は、「勉強がしたかったから」です。

 

ほんとですよ。(※あと、家からとにかく出たかった)。

 

自分の家庭は、大学どころか、「中学卒業したら働け」ぐらいの勢いでした。

 

世間では、「勉強しなさい」とか「塾へ行きなさい」といわれ、しぶしぶ勉強している学生も多いかと思います。私からしたら贅沢な悩みです。

 

自分は小さいころから、本屋で長時間立ち読みしたり、図鑑を読んだり、とにかく勉強が好きで、学校が好きで、どうしても大学に行きたかった。

 

家では、「勉強は道楽だ」という方針でしたので、なんとしても勉強が続けたかったのです。

 

じゃあ、家で居させてもらって、勉強続ければ?という声も聞こえてきそうですが・・・

 

まあ・・その・・殴る、蹴る、9時就寝、他いろいろ。。。

 

なので、必死になって何かいい方法は無いかと調べました。

 

今でこそ、インターネットで、色々な情報を得ることができますが、当時はネットなどあるわけでは無いので、18歳の頭で必死に考えました。

 

と、「新聞奨学生」といういい方法があるではないか!

 

さらに色々調べ、どうやら日本経済新聞がいいらしい、ということまでたどり着き、親に内緒で、申し込みました。

 

当時、深津絵里さんが宣伝していたことをよく覚えています。

 

 

 

 

東京到着日に私の「座右の銘」が決まる

 

少々の荷物は段ボールで専売所(=新聞配達で住み込みする場所)へ送る予定でしたので、バック片手に僅かな書類等を持参して、東京へ行きました。

 

最初、説明会を受けるんですが、自分のあまりの荷物の少なさに、周りの方は驚いていました。

 

それだけ、家を出て、東京で勉強したかった、という覚悟をもっていました。

 

ちなみに、その後東京で約8年程住むことになるわけですが、1秒も「ホームシック」にはなりませんでした。

 

さて、説明会にて話された内容(=初めての仕事で初めて言われたこと)で、印象的だった言葉が、現在の私の「座右の銘」となっています。

 

それが・・・

 

「とにかく早く寝ろ」「寝れば何とかなる」

 

でした。

新聞配達にとって、早起きは重要ですから、睡眠時間の大切さを伝えたかったのでしょうが、私は、新聞配達から離れた現在でも、この教えを守っています。

 

だから私は、時に忙しいときでも、夜中まで仕事をすることはごくまれです。

 

睡眠時間を差し引いて、仕事するよう心がけています。

 

 

浪人生として中野区の専売所に配属

 

私の配属先は、日経新聞の中野区で、ほのぼのとした商店街があるところでした。

 

たまたま配属された場所によって、人生は色々変化していきますが、私の場合は、そんなほのぼのとした場所で過ごすことになりました。

 

日経新聞にしたのは、当時、自分が調べた中では、一番安心できる感じがしたからです(※あくまでカタログ上)。

 

このブログを書くにあたり、久しぶりに労働条件を見てみると、当時の労働条件とは、だいぶ変化していることが分かりました。

 

女子学生は在籍していない
今は若者が少なく人手不足で、女子も雇い入れないと、新聞配達は回らないでしょうが、当時は、男ばかりでした。
おしゃれな専売所なんて、当時は無かったでしょうね。

 

部屋にはエアコン、クーラー無し
部屋は、6畳をさらに半分にしたような感じでした。エアコンは無いので、夏は団扇か扇風機です。
北海道の旭川から来た同期は、夏の暑さでバテていましたね。
今と違って、とても勉強できる環境ではないかもしれませんが、それでも、個室で、自由を感じて、夏の暑さ以外不満はなかったです。

集金業務もあり
毎月、集金業務がありました。私は結構、テキパキ集金していましたが、それでもなかなか会えない方もあり、水道メーターを見ては集金していましたね。
集金業務も、リーフ撒き(チラシ配り)もあったけど、他の新聞社と違って拡張(=営業)が無かったので、「ラッキー」と思っていました。

 

卒業後のバックアップ無し
そんなのは、自分で考えて進学なり、仕事なり、見つけないといけません。でも、当時それが当たり前でした。私は、結局2浪することになりましたが、今度落ちたら、パチプロでもなろうかとも考えました。

 

 

今よりも労働条件は良くなかったけど、当時は労働基準法なんて知らないし、調べることなんて無かったし、ただただ「こんなもの」という感じで、目の前の環境を受け入れて、日々楽しく過ごしていました。

 

 

 

新聞配達の日々

 

私は浪人生でしたので、原則、予備校通いと新聞配達が、日々の生活となります。

 

朝、4:00までには起きてきて、冒頭のきゃりーぱみゅぱみゅ の写真のように、せっせと折り込みチラシを入れて、配達にでかけます。

 

私は自転車で新聞配達をする地区で、前かごを筍(たけのこ)のように上手に折って積み配達します。

 

先輩(音楽やってる長髪の優しい方でした)に教えてもらい、その後デビューしました。

 

デビュー当日は、風の強い日で、自転車を倒し、新聞が吹き飛び、泣きそうになりながら配達したのを覚えています。

 

配達を覚えるまでは、「順路帳」なる虎の巻を持って配達します。

 

そして自分がお休みの日は、「代配(だいはい)」と呼ばれる代わりに配る方と引き継ぎをし、その順路帳を見ながら、配達してもらうことになります。

 

当時その専売所は、9区ほど区域がありましたが、私が担当していた地区は、結構大変なところでした。

 

部数も結構ある上、たった1部を5階まで上がっていくところなど、時間がかかる場所だったんです。

 

新聞配達中は、無我夢中で配っておりましたが、私の担当のところは、高層階で富士山が見えるところがありました。

 

冬晴れで富士山が良く見えるときは、ちょっとだけ立ち止まって、眺めていましたね。

 

あと1度夏の暑い日に、新聞配達中に脳の血管が詰まったのでしょうか、左腕が全く上がらなく麻痺したことがあったのを覚えています。

 

麻痺する直前に飲んだコカコーラが良かったのか、1時間ほどして麻痺が収まり助かりました。

 

新聞配達というと、冬の寒いときが嫌、というイメージがありますが、少なくとも東京で新聞配達しているときはそうではなかったです。

 

一番大変だったときは・・・
①夏の夕刊(すぐ体がヒートアップ。上記のように死の危険も。就寝中もクーラー無しだった)
②11月下旬の雨(東京は冬は雨がなく晴れ。冷たい雨はドンドン手の感覚を失う)

でした。

 

 

無事、大学合格する

 

私はその専売所では、結局2年することになりました。

 

早稲田大学と明治大学に落ちたからです。

 

2浪目はランクを落とし、なんとか東洋大学法学部に合格したときは、本当にうれしかったですし、今でも「助かった」と思っています。

 

2年目は、予備校にも通わず独学で過ごしていたのでお金がたまっており、専売所を離れるときには、大学入学に必要な入学金やらアパートをそれで工面しました。

 

人生には、大事な転機を迎えるときがありますが、私にとっては、この大学合格が大きな転機となりました。

 

 

 

新聞配達卒業後も うなされる

さて、専売所での新聞配達は終わり、次へ向かって進むかと思いきや、まだ続きがあります。

 

【①大学入学後、途中でお金が無くなり、半年間だけ、読売新聞で働く】
特段、親から仕送りがあるわけでもないため、バイトしながら大学に行くことになるのですが、どうにもお金が底をつき、一時、読売新聞で働くことになります。

2浪のときは、「代配」をしていたため、新聞配達のプロ?として認められて採用されました。

生活が苦しいときに、昔取った杵柄で、仕事にすぐありつけ、本当に助かったことを覚えています。

 

【②時折寝坊した夢を、その後10年以上見続ける】
もう、新聞配達をすることは無いのに、その後10年以上も、「寝坊した!」とハッと目を覚ますことが続きました。

そんなバカな・・・と思われるでしょうが、本当です!

ちなみにあの「ウォルト・ディズニー」も晩年まで夢を見ることになったそうです。

体にインプットされてしまうんでしょうね。

 ・・・少年時代から絵を描くことやアートそのものに大変興味があり、7歳の時には自分の描いた小さなスケッチを近所の人たちに売っていたこともあった。学校では勉強をしながらも、動物や自然などの様々な絵を描いていた。また、小学校時代は、父親のイライアスが新聞配達業を始めていた為、兄のロイと新聞配達を手伝った。毎朝3時半に起きて新聞配達を6年間に渡って朝夕無休で行った。この時代の経験により、「配達を忘れる」という夢を晩年に至るまで折に触れ見ることになった。1911年にカンザスシティーへ引っ越すと、市営の絵画教室で本格的に絵を学ぶ機会を得た・・・

 

【③ジョプリンの「エンターテイナー」でまた思い出す】
専売所の部屋は、壁が薄い個室でしたので、隣の物音がよく聞こえました。

そして、隣の人の目覚まし時計の音楽が、ジョプリンの「エンターテイナー」だったこともあり、その曲を聴くと、そわそわし、忘れていた「新聞配達」や「配達忘れ」を想い出させます。

パブロフの犬 状態です。

 

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【修理】キャノン複合機プリンタの故障で修理依頼


機械類は、いつも大事に使っていることもあり、なかなか故障しない私ですが、

 

酷使しすぎたのでしょうか?

 

朝5:30から格闘するも直らず、プリンタが壊れてしまいました。

 

普段毎日使う印刷はもちろん、CDのレーベルにも活用。

 

使えないと本当に不便です。

 

このブログを書いている最中にも、FAXが・・・

 

費用は、約15,000円也。

 

本当に痛い出費となりました。

 

事業を営んでいる方は、修繕費用に加え、修理に出している期間使えないリスクも、考えておく必要がありますね。

【健保】平成29年度 協会けんぽ 保険料率が決定

平成29年度の健康保険料

全国健康保険協会より、一般保険料率(都道府県単位保険料率)及び介護保険料率の変更が発表されました。

今回も、都道府県単位保険料率については、平均10%はそのまま維持です。

介護保険料率(全国一律)は、1.58%から「1.65%」に引き上げとなります。

 

※なお平成29年3月分(4月納付分)より、変更後の保険料率が適用されます。

引き上げの支部(24支部)
引き下げの支部(20支部)
変更がない支部(3支部)

【労働】理想の上司2017のデータから見た上司の条件

今年も「理想の上司」が発表されました。

 

労務管理の専門家、社会保険労務士によるデータ分析をしてみました。

 

まずは、結果から。

 

男性部門

 

女性部門

 

 

データから見えるもの

実は、もう一つ見ていただきたいデータがあります。

厚生労働省から、労働紛争について、毎年発表のあるデータです。

 

 

 

 

これらのデータから、見えてくる理想の上司、それは・・・

 
パワハラを起こさない上司」です。

 
上司と言うと、「熱血指導」を思い浮かぶ方がいるかもしれませんが、まるで選んだ理由には入っていません。

 
項目設定を間違えたかと思う位です。

 
あと意外にも「面白い」も少ないですね。

 
ちなみに労働紛争事案も、長年「解雇」がテーマでしたが、ここ4年は「いじめ・いやがらせ」です。

 
つまりそれだけ現代は、精神的にダメージを与える職場環境は「NO!」なのです。

 

パワハラ上司、熱血上司かもしれないという方、、、、、紛争になるかもしれません、お気をつけて

 

 

今の人は精神的に弱くなった?

この手の話になると、「昔はもっと精神的に強かったが、今の方はすぐ凹む」とかいうのを聴かれます。

 
確かに、そういった側面もあるとは思いますが、もっと別の理由があるかも。。。

 
昭和のほうがもっと、今から見たら「いじめ・いやがらせ」に該当するようなことをを行っていたように思います。

 
昭和の時代・・・映画でもドラマでも日常でも、活気があったといえば聞こえはいいですが、・・・今より荒れてましたよ、やっぱり。

 
「まじめでいい子」に育った人に対して、昭和の感覚で「怒鳴ったり」「殴ったり」「威嚇したり」すれば、受け取る側は、

 
「なんでそんなことまで言われなあかんの」

 
「なにこの人、あたまオカシイんちゃう」

 
となります。

 
現代は、叱る場合にも、スマートな叱り方、上手な労務管理が、求められています。
※社労士の出番です

 

 

男性と女性では理想の上司が違う

さて、話は変わって、上記のデータで面白いのは、「男女で反応が大きく違うところがある点」です。

男性にとって理想の男性上司は、実は ①位「タモリ」 ②位「池上彰」 ③位「内村光良」の順だった。
理想の女性上司は、理想の男性上司と比べ、実は 上位2人(水ト、天海)がダントツに飛びぬけて人気である。

 
元のデータの棒グラフのメモリが男女で違うので、錯覚をおこします。こういう時は揃えるべきですね

 
ちなみに、自分がこの中で投票するとしたら・・・男性:タモリ、 女性:石田ゆり子 さんですかね。