週刊 座右の銘!(第5号)

週刊 座右の銘!(第5号)

2014.4.20
士業や事業を行っていくうえで参考になる名言集を学ぶ企画、「週刊 座右の銘!」
本日は第5回目。ウォルトディズニーのお話。
では、彼の生い立ちから・・・

【小学校時代】
●ウォルトは、父親の新聞配達業を、兄と手伝った。毎朝3時半に起きて新聞配達を6年間に渡って朝夕無給で行っていた。なおこの時代の経験により、「配達を忘れる」という夢を晩年に至るまで折に触れ見ることになる。

【青年期】
●第一次世界大戦当時、衛生兵として任務に就くこととなった。
休日は一人宿舎に残り、黙々と絵を描いていたため、同僚からは変人呼ばわりされるようになる。
●戦後は、漫画家を目指して新聞広告の漫画掲載を目指したが、当時無名だったウォルトにさほど仕事は回ってこなかったため、日々の生活にも困る苦しい時代を過ごしていた。見かねた兄が知人に頼み、アート・スタジオでの広告デザインの仕事をウォルトに紹介した。翌年にアート・スタジオから契約更新を打ち切られて失業
【1度目の会社】
●会社を立ち上げるも、カンザスフィルム社にアニメーターとして雇用されてしまったので、会社はすぐに倒産。初めは生活の為に雇われたウォルトだったが、短編アニメの作画を担当する中でアニメーターとしての資質に目覚めていき、漫画からアニメへと興味が移っていく。
【2度目の会社】
●わずか一年足らずで独立、個人事務所を始めフリーランスの製作者として仕事を募集(このとき20歳)。質の高い娯楽作品は良い評価を得て、ウォルトの元にはアニメ制作の仕事が順調に舞い込む様になった。個人製作では事業の拡大に追いつかないと判断したウォルトは個人事務所からアニメ制作会社へ変更。しかし、制作に没頭する余りに資金のやり繰りが乱雑になり倒産
【3度目の会社】
●ウォルトはハリウッドへと渡り、兄とともに再び会社「ディズニー・ブラザーズ社」を立ち上げる。興行師にしてアニメ製作もやっていたミンツの紹介で、大手配給会社ユニバーサル・ピクチャーズと関係が結ばれる。配給する作品として誕生した「しあわせウサギのオズワルド」が成功。
しかしながら、ユニバーサル・ピクチャーズにギャラの値上げ交渉をした際、仲介役ミンツはユニバーサル社に法外な配給手数料を支払う様に要求、ウォルトがこれを拒否すると露骨な社員への引き抜き工作を仕掛けた。この引き抜き工作で、殆どのアニメーター達が応じてしまう。結局、契約書上、オズワルドが配給会社の管理下に置かれていた事も不利に働き、ディズニー社は配給元と自社キャラクター、そしてスタッフの大半を失って倒産寸前に追い込まれる。
【ミッキーマウスの誕生】
再建するにあたって、オズワルドに代わる新たな自社キャラクターを必要と感じたウォルトは、それまでにも「うさぎのオズワルド」やアリスコメディの中でライバルとして度々登場させていた「敵役のねずみ」を主役に抜擢することを決定。当初名前は「モーティマー」とされる予定だったが、妻のリリアン・ディズニーのアイディアで「ミッキー・マウス」と変更。

 

夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、「好奇心」「自信」「勇気」そして「継続」である。
The special secret of making dreams come true can be summarized in four C’s. They are Curiosity, Confidence, Courage, and Constancy.

Walt Disney (ウォルト・ディズニー) 

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